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大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)8722号 判決

《住所省略》

原告 甲野太郎

〈ほか一名〉

原告ら訴訟代理人弁護士 小松陽一郎

同 山下誠

同 池田直樹

同 藤谷和憲

同 木村哲也

同 山崎敏彦

同 村上正巳

同 尾川雅清

同 加島宏

同 木村達也

同 北川昭一

同 島川勝

同 白波瀬文夫

同 舩冨光治

右木村哲也訴訟復代理人弁護士 田中義信

《住所省略》

被告 株式会社新潮社

右代表者代表取締役 佐藤亮一

〈ほか二名〉

被告ら訴訟代理人弁護士 多賀健次郎

同 中村幾一

同 島谷武志

主文

一  被告らは、原告ら各自に対し、連帯して金一一〇万円及びこれに対する昭和六二年一〇月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その一を被告らの、その余を原告らの各負担とする。

四  この判決は、主文第一、第三項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告ら各自に対し、連帯して五〇〇万円及びこれに対する昭和六二年一〇月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、原告ら各自に対し、連帯して別紙一記載の謝罪広告を被告新潮社発行の写真週刊誌「FOCUS(フォーカス)」に一頁の四分の一の大きさで、「謝罪広告」とある部分は二〇級活字、その他の部分は一二級活字により一回掲載せよ。

3  訴訟費用は、被告らの負担とする。

4  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告らは夫婦であり、その長女である甲野春子(以下、「亡春子」という。)は、昭和三二年四月二五日に出生したが、後天性免疫不全症候群(AIDS、以下、「エイズ」という。)に罹患し、昭和六二年一月二〇日にくも膜下出血を原因として死亡した。

(二)(1) 被告株式会社新潮社(以下、「被告会社」という。)は、肩書地に本店を有し、各種雑誌等の出版を目的とする会社であり、写真週刊誌「FOCUS(フォーカス)、以下、「フォーカス」という。」を発行している。

(2) 被告会社の従業員である後藤章夫(以下、「被告後藤」という。)は、フォーカスの編集長として、同誌の編集業務に従事している。

(3) 被告吉川譲(以下、「被告吉川」という。)は、被告会社の専属カメラマンである。

2  被告らの行為

被告らは、亡春子がわが国最初の女性エイズ患者であることを知ったことから、亡春子の肖像写真を入手して記事とともにフォーカスに掲載しようとして、共謀のうえ、以下の一連の行為をした。

(一) 亡春子の遺影の撮影

原告らは、亡春子の前記死亡当時、亡春子がエイズ患者であったことを知らず、昭和六二年一月二〇日夜、神戸市《番地省略》所在の乙山教会(以下、「本件教会」という。)において、他の親族ら数名とともに亡春子のための前夜式を挙行し、前夜式終了後も引き続き右教会で静かに亡春子をしのんでいたが、被告吉川は、亡春子の肖像写真等を入手するため、同日午後九時頃、被告会社の従業員でフォーカスの編集部員であった久恒信夫(以下、「久恒」という。)ら数名とともに、右教会に赴き、久恒らが原告らに対して来訪の目的、身分等を秘して「丙川商店街の者」等と虚偽の申出をし、亡春子に献花を行っている隙に、原告らに隠れて関係者以外の立入りが認められていなかった右教会の二階に無断で上がり込み、原告らが右のとおり亡春子を静かにしのんでいる最中にフラッシュを使用して祭壇に飾られてあった同女の遺影を盗み撮りし、そのまま戸外に逃走した。

(二) 写真及び記事の公表

被告会社及び被告後藤は、被告吉川から、右(一)の亡春子の遺影を撮影した写真(以下、「本件写真」という。)を入手し、原告らに無断でフォーカス第七巻四号通巻二六八号(以下、「本件雑誌」という。)四頁以下に、「エイズ死『神戸の女性』の足どり」との見出しで、無修整の本件写真とともに、別紙二記載のとおり亡春子をわが国最初の女性エイズ患者として紹介し、同女が主に外国人船員相手の売春バーに勤め、同所では、週に一人か二人のペースで客を取り、なじみ客を他のホステスと共有することもあった等の内容を報道する記事(以下、「本件記事」という。)を掲載して昭和六二年一月三〇日付けで発行し、同誌は、全国の書店で販売され、不特定多数の読者に閲読されたが、その発行部数は一〇〇万部を超えた(以下、本件記事及び本件写真の掲載を「本件報道」ともいう。)。

3  被告らの右2の各行為は、以下のとおり、亡春子及び原告らの権利ないし法益を侵害する違法なものである。

(一) 亡春子の人格権に対する侵害

名誉権、プライバシーの権利、肖像権等の人格権は、担い手の死後も私法上直接保護され、死者の人格権が侵害された場合には遺族が死者に代って損害賠償等を請求することができるものと解すべきである。すなわち、人間の尊厳や生存中における人格の自由な発展等は、名誉、プライバシーの権利及び肖像権等の人格権が死後も保護されることによって初めて保障されるものである。また、死者の名誉等が侵害された場合に遺族が存在せず、又は存在しても損害賠償その他の請求をしない時には私法上の保護を受けられないというのは合理的根拠を欠く。さらに、遺族が損害賠償等を請求する場合においても、遺族が自己に生じた損害よりもまず死者自身に生じた損害の回復を求めることは十分考えられる。そして、死者の名誉毀損による名誉毀損罪の成立を肯定する刑法二三〇条二項、著作者の死後における著作権の人格的利益の保護を図っている著作権法六〇条、一一六条の各規定の趣旨は、名誉権、プライバシーの権利及び肖像権等の人格権についても類推されるべきである。

このように、死者の人格権は、遺族固有の人格権とは別個にそれ自体法的に保護された権利であると解すべきところ、被告らは、本件では亡春子の人格権を次のとおり侵害した。

(1) 亡春子の名誉権の侵害

本件記事は、前記のとおり、亡春子が売春婦であるかの如く報道しているが、そのような事実はない。

亡春子は、右のような虚偽の本件報道によって名誉を著しく毀損された。

(2) 亡春子のプライバシーの権利の侵害

本件記事の内容は、亡春子がエイズに罹患している等の私生活上の事柄あるいは、亡春子が売春婦であった等の私生活上の事実と受け取られるおそれのある事柄に関するものであり、通常人であればその公開を欲せず、しかも、一般人には知られていないものであるから、本件報道は、亡春子のプライバシーの権利を侵害するものである。

(3) 亡春子の肖像権の侵害

亡春子の肖像権は、本件写真の撮影及び公表により侵害された。

(二) 原告ら自身の人格権等に対する侵害

(1) 原告らの名誉権の侵害

原告らは、前記のとおり亡春子の両親であり、亡春子の出生後は数年間を除き、長期間にわたり亡春子と同居しており、同女とはいわば一心同体の密接な関係にあったが、本件報道により、世間からは売春婦、エイズ患者の両親として扱われたばかりか、原告ら自身もエイズに感染しているおそれがあるとの風評を流布されて近隣の交際等の社会生活から排除される等名誉を毀損された。

(2) 原告らのプライバシーの権利等の侵害

亡春子が売春婦であり、エイズに罹患していたこと等の本件記事の内容は、右のとおり、亡春子といわば一心同体の密接な関係にある原告らにとっても、私生活上の事柄あるいは、私生活上の事実と受け取られるおそれのある事柄に関するものであって、通常人であればその公開を欲せず、しかも、一般人には知られていないものであるから、原告らは、本件記事の掲載によってプライバシーの権利を侵害された。

(3) 原告らの宗教的行事に関するプライバシーの権利等の侵害

被告吉川らは、前記のとおり、原告らが亡春子の前夜式を終え、静かに同女をしのんでいる最中に、外部の者が立ち入ることを許されていない本件教会の内部に無断で侵入し、原告らに無断でフラッシュを使用して亡春子の遺影を盗み撮りし、その場の厳粛な雰囲気を乱した。

被告吉川らの右行為は、住居侵入罪(刑法一三〇条)に該当する等社会的相当性を著しく逸脱したもので、それ自体原告らに対する不法行為を構成するから、原告らは、被告吉川らの右行為により、前夜式に関するプライバシーの権利及び憲法一三条、二〇条等によって保護されるべき人格権の一種としての宗教的行事を平穏に行う権利を侵害された。

(4) 原告らの亡春子に対する敬愛追慕の情の侵害

被告らは、前記の本件写真の撮影行為及び本件報道等の一連の行為により、亡春子の名誉権及びプライバシーの権利を侵害し、同女をいわば衆人の中でさらし者にしたが、原告らは、これによって憲法一三条等により保護されるべき人格権の一種である亡春子に対する敬愛追慕の情を侵害された。

4  被告らの責任

(一) 前記のとおり、被告後藤及び同吉川は、久恒ら他のフォーカス編集部員と共謀のうえ本件報道を行い、これによって亡春子及び原告らの人格権を侵害したものであるから、民法七一九条、七〇九条、七一〇条により、原告らに対し、損害賠償責任を負うものである。

(二) 被告会社は、その従業員である被告後藤及び同吉川が右不法行為をしたことにつき、民法七一五条により、原告らに対し、損害賠償責任を負うものである。

(三) 原告らの右責任は、不真正連帯債務である。

5  損害

(一)(1) 亡春子は、原告らの右の各行為により、名誉権、プライバシーの権利、肖像権等の人格権を侵害された。

仮に、右主張が認められないとしても、原告らは、亡春子が右のような人格権侵害を受けた結果、同女に対する敬愛追慕の情を侵害されたものであり、その損害は、同女が被った損害と同程度である。

(2) さらに、原告らは、被告らの右の各行為により、原告ら固有の名誉権、プライバシーの権利、宗教的行事に関するプライバシーの権利等の人格権を侵害されたものである。

(3) 被告らは、前記のとおり、営利の目的で計画的、組織的及び反復的に報道の自由として社会的に相当と認められる範囲を著しく逸脱した方法を用いて他人のプライバシーを侵害したうえ、被報道者、被写体への損害賠償金すらいわば経費として織り込んで本件雑誌を発行して全国で販売し、これによって莫大な利益をあげている。

このようなきわめて違法性が高い不法行為に対しては、制裁的要素を加味し、損害賠償によって不法行為により得た利益を剥奪することが認められるべきであるところ、本件にあらわれた諸般の事情を勘案すると、亡春子の損害額は、一〇〇〇万円を下らず、また、原告ら各自の損害額もそれぞれ五〇〇万円を下らない。

(二) 亡春子及び原告らは、被告らの前記2の一連の行為により、その名誉を著しく毀損されたばかりか、不特定多数の人々から誤解を受けた。したがって、亡春子及び原告らの名誉の回復のためには、フォーカス誌上に請求の趣旨第二項記載の謝罪広告を掲載することが必要不可欠である。

(三) 原告らは、右の各損害を回復するために、やむなく原告ら訴訟代理人らに訴訟の提起、遂行を依頼し、その際、合計一〇〇万円の報酬の支払いを約したが、右は、被告らの各行為と相当因果関係にある損害である。

(四) 原告らは、右(一)及び(三)の各損害については、各自五〇〇万円の賠償を請求する。

6  よって、原告らは、被告らに対し、不法行為に基づき、連帯して原告ら各自につき右損害の一部である五〇〇万円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和六二年一〇月一〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、請求の趣旨第二項記載の謝罪広告の掲載を求める。

二  請求原因に対する被告らの認否及び主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2について

(一) 同冒頭部分のうち、被告らが亡春子の肖像写真を入手してフォーカスに掲載することを企画したことは認め、その余の事実は否認する。

(二) 同(一)のうち、昭和六二年一月二〇日夜に本件教会において亡春子の前夜式等が行われたこと、その際に久恒らが右教会に入って元町商店街の者と名乗って献花し、被告吉川が右教会の二階から亡春子の遺影を撮影したこと及び右撮影につき原告らの承諾を得なかったことは認め、その余の事実は否認する。

(三) 同(二)の事実は認める。

3  請求原因3について

(一) 同冒頭部分の主張は争う。

(二) 同(一)について

(1) 同冒頭部分のうち、刑法二三〇条二項及び著作権法六〇条、一一六条にそのような規定があることは認め、その余は争う。

(2) 同(1)のうち、本件記事の内容は認め、その余は争う。

(3) 同(2)及び(3)の各主張は争う。

(三) 同(二)について

(1) 同(1)のうち、原告らが亡春子の両親であることは認め、その余の事実は否認する。

(2) 同(2)ないし(4)は争う。

4  請求原因4及び5は争う。

5  本件写真の撮影に至る経緯

(一) 被告会社は、文学芸術関係の出版物の編集、発行を目的とする出版業者であるが、昭和五六年一〇月二三日に写真を主たる伝達手段とする週刊誌としてフォーカスを創刊し、現在に至っている。

フォーカスは、被告会社が昭和三一年二月に創刊した「週刊新潮」と同様、常識(良識)を根本とし、人まねせず、権威を恐れず、マンネリを排する等の編集方針により、写真をもって紙面の大部分を埋め、圧縮し、エスプリのきいた文章と相まって、日々発生する時事問題を報道し、批判してきた。

(二) フォーカス編集部員は総数二九名で、編集長の被告後藤が編集人兼発行人であり、副部長、次長、編集委員等が記事をまとめ、執筆を担当している。フォーカスの発売日は毎週金曜日であるが、締切日は火曜日の深夜であり、最終校了は水曜日の午後二時である。そして、右校了終了後編集部員全員が出席して編集会議を開催し、次週の編集方針が協議され、テーマの提出や予備調査の指示が出されるが、右テーマについては土曜日に再度編集会議が開催され、テーマの確定、執筆者の決定、取材記者やカメラマンを配置したチームが結成され、執筆者の指示に基づいて取材が開始される。

(三) 昭和六二年一月二〇日夕刻に亡春子が死亡したニュースが流れたので、当時神戸で取材活動をしていたフォーカス編集部次長久恒、同編集部員の高沢、土屋及びカメラマンの被告吉川、中野の五名は、亡春子の住所地でもあった原告ら肩書地(以下、「原告ら方」という。)に向ったところ、本件教会で通夜が行われていることが判明した。そこで、右久恒らは、亡春子の遺影を撮影するために本件教会に向ったが、その途上、久恒を中心として撮影方法について協議した結果、(1)前夜式を行っている遺族の心情に十分配慮し、厳粛な通夜の雰囲気を乱したりはしないこと、(2)フラッシュを使用したり、制止を無視して撮影したりしない、(3)撮影について遺族から抗議があれば、直ちにフィルムを遺族に渡す、という方針を取り決めた。そして、右の方針の下に、久恒らが亡春子に献花したいと申し入れ、公開されていた本件教会の一階で献花を行っている間に被告吉川が二階からフラッシュを使用することなく、亡春子の遺影を撮影したが、この間、前夜式等は厳粛に行われており、被告吉川及び久恒らは通夜を妨害したり逃走したりしていない。

6  本件報道の適法性について

(一) 死者の人格権について

人は、死亡によって権利義務の主体となる適格を喪失するから、名誉権、プライバシーの権利、肖像権等の人格権も死亡によって消滅する。

なお、刑法二三〇条二項は、死者そのものの名誉を保護法益としているが、これは、死者の名誉が法益として侵害が可能であるというに過ぎず、死者の権利能力や死者の法律上の人格を認めるものではない。また、著作権法六〇条、一一六条等の規定は、著作物の公共性に鑑み、遺族らに著作者人格権と同一内容の権利を取得させるために著作権法が特別に設けた規定であり、著作者の死後の人格権を認めたものではないうえ、著作者人格権は、著作者の人格から独立した著作物を保護の対象とし、これに派生して著作者の著作物に対する関係が保護されるに過ぎないから、人格権とは性質が異なる。

(二) 本件写真の撮影によるプライバシーの権利等の侵害について

写真を撮影する場合には、原則として相手方の承諾を要するが、遺影を撮影する場合には、前記のとおり死者の肖像権侵害という問題は生じないし、また遺族の承諾権も法律上の根拠はない。したがって、遺影の撮影は、それが社会的相当性を逸脱するような方法でなされた場合を除き、遺族のプライバシーの権利等の侵害の問題を生じない。

これを本件についてみるのに、前記本件写真の撮影状況に照らせば、本件写真の撮影は、社会的相当性の範囲内であり、原告らの権利を侵害するものではない。

(三) 本件報道による名誉毀損について

(1) 亡春子の名誉毀損による不法行為の成否

前記のとおり、死者の名誉自体を毀損しても直ちに不法行為は成立せず、右毀損行為によって不法行為が成立するには、(ア)故意又は過失により、(イ)虚偽の事実をもって死者の名誉を毀損し、(ウ)これによって遺族の死者に対する敬愛追慕の情を社会的に妥当な受忍の限度を超えて侵害した、という要件が必要である。右(イ)の要件が必要とされるのは、死者は、現に社会で活動している人間と異なり、精神的苦痛を受けることはなく、また歴史的事実の探求を萎縮させてはならないからである。そして、刑法二三〇条二項も、死者の名誉毀損の構成要件として「誣罔ニ出」たことを要求している。

本件の場合、本件記事の内容は真実であり、また、仮に真実に反する部分があるとしても後記抗弁4のとおり真実と信ずるにつき相当の理由があり過失はないから、亡春子の名誉毀損による不法行為は成立しない。

(2) 原告ら固有の名誉毀損による不法行為の成否

死者に関する記事が遺族等の生存者の名誉を毀損するためには、当該記事が死者よりもむしろ生存者の名誉を毀損しているか、死者とともに生存者についても言及していることを要求する。

ところが、本件記事の内容は、すでに成人であった亡春子のエイズ感染前後の生活状況、神戸市内でのエイズパニックの様子、行政当局の対応等であり、原告らに関する記述はないうえ、亡春子の氏名や家族との生活状況は一切記載しておらず、被告らには原告ら遺族を傷つける意図はなかった。

したがって、本件では、原告ら固有の名誉の毀損による不法行為は成立しない。

(四) 本件記事の公表によるプライバシーの権利の侵害について

(1) 死者のプライバシーの権利の侵害による不法行為の成否

前記のとおり、死者のプライバシーの権利は認められないから、死者の私生活上の事柄を公表しても直ちに不法行為は成立しない。

そして、仮に死者の私生活上の事柄を公表することによって遺族の敬愛追慕の情を侵害し、不法行為が成立する場合がありうるとしても、その成立要件としては、(ア)公共性、公益目的性がないこと、(イ)遺族の死者に対する敬愛追慕の情を社会的に妥当な受忍限度を超えて侵害したこと、が必要である。

本件では、後記の抗弁2及び3のとおり、本件記事が公共性及び公益目的性を有しているから、本件記事による亡春子の私生活上の事柄の公表は、原告らの敬愛追慕の情を侵害するものではない。

(2) 原告ら固有のプライバシーの権利の侵害による不法行為の成否

子が未成年者、とりわけ幼児の場合は、子に関する問題は、プライバシーの権利をも含め、親の問題ともいいうるが、成人した子の生活状況等は、その子自身のプライバシーに属する領域の問題であって、親等の家族のプライバシーとは別個独立のものである。

本件記事は、亡春子がいわゆる水商売に入ってからの生活状況を述べているだけで、亡春子の生立ちや家族生活等原告らの生活状況に関係する記載は一切ないから原告ら固有のプライバシーの権利を侵害するものではない。

三  抗弁

1  本件報道に至る経緯

(一) エイズは、性的接触等により伝染する疾病であるが、現在、治療法も予防ワクチンもなく、欧米の統計では、エイズ発病後四、五年以内の死亡率は、ほぼ一〇〇パーセントである。しかも、エイズは世界的規模で拡大しており、各国ともその対策に苦慮しているのが現状である。

(二) 厚生省のエイズサーベイランス委員会は、昭和六二年一月一七日に亡春子をわが国最初の女性エイズ患者と認定して、複数の男性と性交渉があったことを公表した。

これを受けて、全国紙は、亡春子について、主に神戸市丙川町、丁原等の繁華街で外国人を含む多数の男性を相手に売春を続け、一〇〇人以上の男性と性交渉を持った等の表現で一様にわが国最初の女性エイズ患者であり、不特定多数の男性と売春をしてきたことを報道した。また、エイズサーベイランス委員会の塩川委員長(以下、「塩川委員長」という。)も「売春婦のエイズ感染率はケニアのナイロビでは六〇パーセント、米国のマイアミでも四〇パーセント、ニューヨークでも一九パーセントにも達し、この人達を通じた感染拡大が世界的問題となっている」との談話を記者団に話していた。

(三) 右の新聞報道の内容が事実なら、亡春子が不特定多数の男性と売春を続けたことにより、相手の男性やその妻子にまでエイズの二次感染の危険性が生じ、エイズが一般市民にも無関係ではなくなってきた。また、このような事態の中で、兵庫県、神戸市では、エイズに対する不安からいわゆるパニック状態が生じ、兵庫県、神戸市のエイズ対策本部には、問合わせの電話が殺到したが、そのほとんどは、亡春子に関するものであった。

(四) 久恒らは、こうした状況の下で亡春子についての取材を開始することとしたが、その際知合いの新聞記者から行政当局が非公式に同女の売春の事実を認めたとの情報を得ていた。

そこで、久恒らは、右情報の裏付け取材を行ったところ、亡春子が神戸市丙川町の外人バー「チェリー」で働いていたことを突き止め、昭和六二年一月二〇日未明と同日昼の二回、合計四時間半にわたり久恒らの宿泊先である神戸市丁原のターミナルホテルにおいて右チェリーのマスターである戊田松夫(以下、「戊田」という。)と同店のママであるその妻から詳しく事情を聞くとともに、その後電話による取材も行った。戊田は、取材に協力的であり、久恒らに対し、外人バーに勤める女性達は、気が向けば客を取ったりすること、店ではあくまでも自由恋愛なので誰と寝たかはわからないが、多い時は週に二、三人と寝るかもしれないこと及び以前同店に勤めていて今はノルウエー人の船員と内縁関係にある女性が、店に来て泣きじゃくってばかりいたので、事情を聞くと、亡春子の客を回してもらったことがあるとのことであり、保健所へ行って検査を受けるように勧めたが、検査を受けるくらいなら死ぬといって取り乱していたこと等の内容を供述した。戊田は、右供述では、亡春子を含めた店に勤める女性達が客と自由恋愛をしているというが、それは、店の経営者として売春には関与していないといわざるを得ないからに過ぎず、その実態が売春であることを示唆している。しかも、神戸では、外人バー街で売春をするということは、いわば周知の事実であった。

(五) フォーカス編集部は、亡春子に関する新聞報道、塩川委員長の前記発言、行政当局の非公式の情報に右独自の取材を総合勘案した結果、亡春子が不特定多数の男性と売春をしていたこと、亡春子には同棲していた男性及び結婚を考えて性的交渉を持った男性がいたこと並びに亡春子と性交渉を持った男性とさらに性的交渉を持った女性がいたこと等の事実を把握した。

フォーカス編集部は、このような状況を踏まえ、亡春子がすでに死亡していること等の事情も考慮のうえ、二次感染を防止するため、亡春子と性的接触を持った男性のみならず、その他一般市民に対しても一刻も早く亡春子を特定し、同女がエイズに罹患していたこと等正確な情報を提供すべきものと判断し、本件報道をした。

(六) なお、本件雑誌の発刊後、フォーカス編集部に対し、亡春子が誰であるかを尋ねる数多くの匿名の電話がかかってきた。

2  公共性

右のとおり、エイズは現在深刻な不治の感染病であり、一般市民の生活を脅かすに至っている。そして、右のとおり亡春子の死亡によって神戸市がパニック状態に陥ったこと、新聞各紙が同女について連日報道を行ったこと及び本件報道後多くの問合わせがあったことは、わが国最初の女性エイズ患者である同女についての社会的関心がいかに強かったかということを示すものである。したがって、本件記事及び本件写真の内容は、公共の利害に関する事項である。

3  公益性

フォーカス編集部は、前記のとおり諸般の事由を考慮のうえ、エイズによる二次感染を防止するという社会一般の公益に資するために、あえて本件記事及び本件写真を公表したものであるから、本件報道は公益性がある。

4  本件記事の真実性

以上の本件報道に至る経緯に照らせば、本件記事の内容はすべて真実であり、また、仮に本件記事の内容に真実に反する部分があるとしても、被告らには、真実と信ずべき相当の理由があったものである。

5  違法性の阻却

(一) フォーカスは、単なる娯楽誌ではなく、前記のとおりの編集方針を取っている雑誌であり、報道、言論機関としての自負と責任をもって個々の記事を編集しているが、その前提となる写真撮影、取材については、取材者の経験に基づき、具体的事案に応じ、その場に適した方法が採られている。これは、机上で考えた取材方法のマニュアルでは個々の状況に対応できず、むしろ報道の画一化をもたらす危険性があることによるものであり、編集部は、写真や取材結果を記事にする過程において、個々のケースに応じて様々な判断を加えることによって編集部としてのコンセンサスを形成している。

本件の取材の現場責任者であった久恒は、被告会社の雑誌である「週刊新潮」の記者時代から通算して二〇年以上取材、編集に携り、当時はフォーカス編集部次長の要職にあった者で、右編集部の方針を熟知しているから、同人の現場における指揮、判断は信頼に値するうえ、久恒は、取材中も一日数回編集部と電話で連絡を取って打ち合わせ、そのつど編集部の方針を熟知し、取材の指揮をしていた。

(二) 本件写真の撮影は、本件報道の前提としてきわめて高度の公共性、公益目的性を有するのみならず、その緊急性及び必要性から、前記のとおり、事前に撮影にあたっての配慮事項を決めたうえ、その撮影行為も教会における厳粛な雰囲気を乱すことなく行われたものであるから、違法ではない。そして、本件記事は、エイズの二次感染防止を目的とするもので、亡春子がいわゆる水商売に入ってからの足取りや男性との交遊関係については言及したものの、亡春子の氏名や同女の生立ち、家庭状況については一切触れていない。また、亡春子に関する記述以外は、亡春子に関する新聞報道後の神戸市におけるパニック状態の様子と行政当局の対応の鈍さを指摘した内容となっている。このように、本件記事の内容に照らしても、本件報道が興味本位でないことは明らかである。

(三) また、フォーカス編集部は、エイズについて早くから関心を持ち、本件報道の前から繰り返し報道を行い、エイズ問題の深刻さを訴え続けてきており、本件報道も右の一連のエイズ報道のうちの一つであり、しかも緊急かつ必要なものであった。

なお、久恒らは、取材の過程においてエイズの二次感染防止のためには、行政当局の迅速な対応が不可欠と考えたので、兵庫県保健環境部に出向いて、自ら収集した取材データを提供するから一刻も早く追跡調査をしてほしい旨申し入れている。

(四) このように、本件報道は、亡春子や原告らの人権に配慮しつつ、社会的に問題となっていたエイズを取り上げ、二次感染を防止することを企図してなされたものであるから、仮に抗弁2ないし4の各主張が認められないとしても、なお違法性を阻却するものである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1について

(一) 同(一)及び(二)の各事実は認める。

(二) 同(三)のうち兵庫県、神戸市のエイズ対策本部にエイズに関する問合わせが寄せられたことは認め、その余の事実は否認する。

(三) 同(四)のうち、久恒らが戊田から取材をしたことは認め、その余の事実は否認する。

(四) 同(五)のうち、フォーカス編集部が本件記事及び本件写真を掲載することを決定し、本件報道を行ったことは認め、その余の事実は否認する。

(五) 同(六)の事実は否認する。

2  抗弁2ないし4は争う。

3  抗弁5について

(一) 同(一)のうち、フォーカス編集部が取材方法についてのマニュアルを作成していないことは認め、その余の事実は否認する。

(二) 同(二)は争う。

(三) 同(三)のうち、フォーカスが本件報道以外にエイズに関する報道をしたこと及び久恒らが兵庫県保健環境部を訪れたことは認め、その余は争う。

(四) 同(四)は争う。

五  抗弁に対する原告らの反論

1  本件報道の公共性について

本件報道当時、エイズに社会的関心が集まっていたものの、その関心は、エイズがわが国においてどの程度広がっており、今後どのように感染防止の施策が採られるべきなのか、という事項に関するものであり、エイズで死んだ女性がどんな顔をしていたのかなどということではない。そして、亡春子がエイズ患者であったという本件記事の内容は、他の感染病の場合と同じく個人の病気に関する私的な事柄に他ならず、本件写真の被写体である亡春子の遺影や本件写真が撮影された同女の前夜式等も個人の私的な事柄に過ぎない。したがって、本件報道は、公共の利害に関する事項を公表したものではない。

2  本件報道の公益性について

フォーカスは、昭和五八年新年合併号では発行部数二〇〇万に達する勢いを誇っていたが、同種の写真週刊誌(フライデー、フラッシュ、エンマ、タッチ)の創刊後は過当競争となって発行部数が大幅に落ち込み、その中でエンマとタッチが廃刊されるに至った。このような状況の下で、被告らは、読者の覗き見趣味を満たすために、他誌より刺激的な写真を掲載しようとして本件報道を行ったものであり、感染防止等の主張は後から考えた言訳に過ぎない。

また、本件記事の取材に当たった久恒は、医学的素養に欠け、エイズに関する医学的知識もほとんどなく、エイズ感染の危険性や予防方法等を適切に判断する能力を欠いていたうえ、エイズに罹患している可能性のある者にとっては、エイズ患者である、又はあったことが公表されることは非常な不利益であるから、本件写真の公表により自分も公表されるのではないかとの危惧から、かえって、検査を受けたり申告したりしなくなるおそれがある。

したがって、本件報道は、専ら公益を図る目的をもって行われたとはいえない。

3  本件記事の真実性について

(一) 亡春子は、生前、複数の男性との交際があったものの、いずれも特定の男性であって結婚も考えたことのある真剣なものであり、同時期に複数の男性と交際していたわけではない。したがって、本件記事のうち、亡春子が売春バーで働いていた売春女性であり、なじみ客を他のホステスと共有した等の記載は、すべて真実に反する。

(二) また、次の事由に照らせば、被告らが本件記事の内容を真実であると信ずるについて相当な理由があったとはいえない。

(1) 亡春子は、昭和六一年一二月一日に神戸市立中央市民病院に転医したが、すでに呼吸困難の状態で直ちに集中治療室に収容され、同月中旬には喉を切開しており、同女から過去の男性経験を事細かに聞き出せる状態ではなかった。このような状態で、主治医の医師が亡春子に対し、男性経験が一〇人か一〇〇人か一〇〇〇人かと尋ねたときに、右医師の目には、一〇〇人かといったところで亡春子がわずかにうなずいたように見えたことから、亡春子が複数の男性と性的接触を持ったと発表されたものである。しかし、神戸市が、右発表の際、売春に言及するはずはなく、右の発表を受けた新聞等のマスコミが、亡春子が水商売をしていたことと複数男性との性的接触とを安易に結び付け、亡春子が売春婦であると報道したに過ぎない。そして、当初亡春子を売春婦であるかのごとく扱った新聞も、その後、実質的にこれを撤回している。

(2) 被告らが本件の取材を決定したのは、本件雑誌の最終校正の三日前であるが、久恒が取材を始めたのは最終校正の二日前の夕方であり、このような短時間では十分な裏付け取材ができるはずがない。

(3) また、被告らが情報源であるとする地元の新聞記者からの情報というのは、行政当局から流れたのではないかと思われる程度のものに過ぎないが、久恒らは、行政当局からは取材を拒否されたため、本件記事に関する情報を得ていない。

(4) 被告らが行った実質的な裏付け取材としては、戊田に対する取材がほとんど唯一のものであるに過ぎず、被告らはこれ以外に原告らに対する取材も含め亡春子の売春に関する取材を行っていない。しかも、戊田に対する取材は、同人経営の店にエイズ患者が勤めていたことの公表を恐れる同人の心理状態に乗じて行われた強引なものであるうえ、戊田からの取材によっても、亡春子が売春をしていた事実は明らかにできなかった。

(三) したがって、被告らの抗弁4は採用できない。

5  違法性の阻却について

本件報道は、前記のとおり公共性、公益性を欠くのみならず、その内容も真実でなく、またそのように誤信したことにつき相当な事由も認められないところ、本件にあらわれた諸般の事情に照らすと、本件報道の違法性は重大であるから、本件報道が違法性を阻却されるとの被告らの主張は、到底採用できない。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1及び同2(二)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  右争いのない事実に、《証拠省略》を総合すれば、以下の事実が認められる。

1(一)  亡春子は、昭和三二年四月二五日に原告らの長女として神戸市内で出生し、中学校を卒業後、一時書店や喫茶店でアルバイトをしながら定時制高等学校や英会話学校等に通ったりしたが、いずれもこれらを中退し、爾後、昭和五〇年代中頃から昭和六〇年頃まで原告らとは別居し、チェリー等の神戸市内の外国人向けのバー等に勤めていた。その間、亡春子は、ギリシア人船員を含め、四、五名の特定の男性と交際し、そのうちの何人かとは結婚を考えるまでに至ったが、結局結婚には至らなかった。その後、亡春子は、昭和六〇年頃から再び原告らと同居するようになったが、まもなくエイズに罹患し、昭和六一年中頃からは体調の不調を訴えるようになり、同年一一月頃から入院加療を続けていたが、同年一二月には病状の悪化に伴い、神戸市立中央病院に転医した。しかし、病状は好転せず、昭和六二年一月二〇日にくも膜下出血により、同病院において死亡した(亡春子が昭和三二年四月二五日に原告らの長女として出生したこと及びその後エイズに罹患し、昭和六二年一月二〇日にくも膜下出血により死亡したことは、いずれも当事者間に争いがない。)。

(二)  被告会社は、文芸関係の書籍や各種雑誌等を編集発行する出版社であり、フォーカスは、被告会社が昭和五六年に創刊したいわゆる写真週刊誌である。フォーカスは、本件雑誌を発行した昭和六二年一月当時、一〇〇万部前後の発行部数を有していた(被告会社が、各種雑誌等の出版を目的とする出版社であり、フォーカスを発行していることは、当事者間に争いがない。)。

(三)  被告後藤は、フォーカスの編集・発行人、編集長の地位にあり、総責任者として同誌の編集発行業務に従事していた(被告後藤が、フォーカスの編集長として同誌の編集発行業務に従事していたことは当事者間に争いがない。)。

(四)  被告吉川は、被告会社の従業員ではないが、フォーカスの専属カメラマンとして被告後藤以下のフォーカス編集部の指揮監督の下に、フォーカスのための写真撮影及び取材の業務に従事していた(被告吉川が被告会社の専属カメラマンであることは、当事者間に争いがない。)。

2(一)  エイズは、昭和五六年にアメリカ合衆国で報告された新しい疾病であり、人体の免疫機構を破壊して病気に対する抵抗力を喪失させて後天的に免疫不全を生じさせ、その結果、カリニ肺炎等通常の健康人では感染を起こしにくいが、抵抗力が著しく低下したとき等に発症する感染症やカポジ肉腫等の特殊な癌を引き起こすことから、後天性免疫不全症候群(Acquired Immune Deficiency Syndrome)と呼ばれている。エイズの病原体は、HIVと呼ばれるレトロウイルスの一種(以下、「エイズウイルス」という。)であり、これが感染者の血液や体液を媒介に異性間及び同姓間の性的接触、薬物濫用による注射器や注射針の共用並びに感染者の血液を使用して造られた血液製剤の使用等によって感染するが、エイズウイルスに感染すると、約八週間前後で体内にエイズウイルスに対する抗体ができるので、この抗体の存否により感染の有無を判定することができる(エイズが性的接触等により伝染する疾病であることは、当事者間に争いがない。)。

(二)  現在のところ、エイズウイルスの感染を予防するワクチンの開発及びエイズに対する有効な治療法は確立されておらず、エイズ発病後三年以内の死亡率は七〇パーセントを超えるとされている。そして、世界保健機関(WHO)等の調査によれば、昭和六二年三月時点におけるエイズ患者の数は、アメリカ合衆国の約三万人を含め全世界で合せて四万人以上であるが、エイズを発症していないエイズウイルス感染者の数は数百万人にのぼり、これらの数は今後増加傾向にある。そして、各国ではその対策に苦慮しているほか、アメリカ合衆国等では、このようなエイズに対する不安等から、エイズウイルス感染者が職場や学校等で差別、排除される事例が相次いで起こり、社会問題となっている。しかしながら、エイズウイルスに感染した者全てがエイズを発病するわけではなく、感染者の多くは健康体のままである。またエイズウイルスの感染力は弱く、感染経路も前記のとおり血液及び体液に限られているので、感染者との直接的な性的接触や感染者との注射針の共用等を避ければ、職場、学校等の集団生活においても感染することはまずない(現在エイズの治療法やワクチンがないこと及び世界各国がその対策に苦慮していることは、いずれも当事者間に争いがない。)。

(三)  わが国では、昭和六〇年春にエイズ患者の存在が初めて報告され、昭和六二年二月の時点において確認されたエイズ患者は、亡春子を含めて二六名であった。そして、国は、その間厚生省等が中心となってエイズ問題を研究するエイズサーベイランス委員会の設置、前記の抗体の確認検査体制の整備、保健所等における相談の受付等のエイズ対策を実施してきた。

3(一)  厚生省は、亡春子をわが国最初の女性エイズ患者であると認定し、昭和六二年一月一七日付けで亡春子に関し、氏名、住所等同人であることを特定できる事項を秘しつつ、別紙三記載のエイズ患者が発生した事実をマスコミ及び社会一般に公表するとともに、エイズ対策として、(1)パンフレット類の編集発行等エイズに関する教育啓発活動の徹底強化、(2)相談担当者の研修等による相談窓口体制の充実強化、(3)抗体確認検査を実施できる地方衛生研究所の拡充等の検査体制の充実強化、(4)エイズ患者、エイズウイルス感染者のサーベイランス体制の拡充強化等を図るとともに、兵庫県及び神戸市に対しては、住民に対するエイズ予防のための知識の普及、窓口相談体制及び検査体制の確立、患者との性的接触が疑われる者、感染を心配する者に対しては検査を受けるよう勧奨すること等を指示した。しかし、右の各エイズ対策ではあくまでもエイズ患者、エイズウイルス感染者やその家族等のプライバシー等の人権を最大限配慮することが前提とされており、右関係者の氏名等の公表や強制力を用いた検査は行われなかった(厚生省が亡春子をわが国最初の女性エイズ患者と認定し、複数の男性と性的接触があった旨公表したことは、当事者間に争いがない。)。

(二)  全国紙を含むマスコミは、厚生省の右公表の直後、右女性エイズ患者は、異性間の性的接触によりエイズウイルスに感染し、ギリシア人船員と一時同棲後、神戸市の丙川町、丁原等の繁華街で一〇〇人以上の不特定多数の男性と売春をしていた等と報道した(マスコミが右公表後当該女性エイズ患者が不特定多数の男性と売春をしていた旨報道したことは、当事者間に争いがない。)。

(三)  このように、厚生省の公表やマスコミの一連の報道があったため、神戸市内を中心に住民のエイズに対する不安が高まり、兵庫県及び神戸市の衛生当局等に対し、多数のエイズに関する相談や検査依頼が寄せられたので、兵庫県及び神戸市等の行政当局は、エイズウイルスの感染力は弱く、日常生活上の接触程度では感染しない等のエイズに関する公報をして住民らの不安を和らげる一方、プライバシー等の人権に配慮し、不安のある者は自主的に検査を受けるよう呼びかけた(住民等から兵庫県や神戸市に対し、エイズに関する相談が寄せられたことは、当事者間に争いがない。)。

4(一)  被告後藤以下のフォーカス編集部は、厚生省の右公表があった昭和六二年一月一七日の編集会議において、右公表にかかるわが国最初の女性エイズ患者に関して取材報道を行うことを決定したが、右公表の翌日である昭和六二年一月一八日頃までには、全国紙を含むマスコミ各社と同様、入手した情報から右女性患者が亡春子であることを知ったため、同女の肖像写真を入手し、これを公表することを企図していた。

(二)  フォーカス編集部では、取材の際には責任者である執筆者を中心に、取材記者やカメラマンを配置してチームが編成され、右責任者の指揮のもとで取材が行われることになっていたが、亡春子に関する右取材は、フォーカス編集部次長の久恒が中心となって、編集部員数名及び被告吉川らフォーカス専属カメラマン数名が行うこととなった。

(三)  右久恒らは、昭和六二年一月一八日頃からそれぞれ単独又は共同で神戸市内の丙川町や丁原等の繁華街、保健所等において取材活動をしたり、検査等のために保健所を訪れた風俗関連施設に勤める女性等の写真撮影を開始した。この間久恒ら数名は、亡春子が働いていた店が前記チェリーであること及び同店の所在を確認し、同月一九日夜から翌二〇日にかけて、同店のマスターである戊田及び同店のママである戊田の妻を取材して、同人らから亡春子の家族関係、店での勤務状況及び異性関係等を聞き出したものの、亡春子が売春をしていたとの明確な供述は得られなかった。

5(一)  亡春子は、前記のとおり、昭和六二年一月二〇日に死亡したが、原告ら及び亡春子は、いずれも洗礼を受けていたので、葬儀は原告ら方の近くにある本件教会で行われることになり、同日午後七時頃から原告ら親族や亡春子の友人等合計十数名が出席し、キリスト教による亡春子の前夜式が営まれた。本件教会の内部は二階建となっており、右前夜式が行われた当時、一階内部の祭壇には亡春子の棺が安置され、その上には正面から写した同女の近影が遺影として飾られており、右遺影は、右教会の二階の部屋からもガラス窓越しに見ることができた。また、当時本件教会の玄関の扉は施錠されていなかったものの、本件教会は、右前夜式のためにのみ使われていた。そして、原告らは、右前夜式の終了後も亡春子の兄である原告らの長男夫婦ら数名の親族とともに引き続き本件教会内で亡春子をしのびつつ休息していた(亡春子の前夜式が同日夜に本件教会で行われたことは、当事者間に争いがない。)。

(二)  他方、亡春子が死亡した事実は、その日のうちに取材を行っていた新聞記者等マスコミ関係者の知る所となり、右関係者は、本件教会及び原告ら方の所在を突き止め、遅くとも右前夜式が行われていたころには、本件教会の外部を撮影したり、付近住民から亡春子や原告らについて聞込みをする等の取材活動をしていた。

(三)  久恒らは、昭和六二年一月二〇日夕方頃に亡春子が死亡したことを知ったが、同日夜には久恒及び被告吉川の他、フォーカス編集部員二名、フォーカス専属カメラマン一名も本件教会の近くに集合した。そこで、久恒らは、他のマスコミ関係者等から入手した右教会の間取りや亡春子の遺影の位置等に関する情報をもとにして取材の最終的な打合せをした結果、教会内に飾られている亡春子の前記遺影を撮影することに決定した。そして撮影の具体的な手筈としては、久恒ら四名が先に教会内に入って亡春子に献花をする間に被告吉川が原告らに気付かれずに教会の二階に上がり、祭壇上に飾られている同女の遺影を撮影したのち、久恒らが退出するより前に教会から出ることとされた。

(四)  被告吉川を除く久恒ら四名は、昭和六二年一月二〇日午後九時頃玄関から本件教会内に入り、被告吉川もその直後同じく玄関から本件教会の二階に上がった。久恒ら四名は、前夜式を終え、休息していた原告らに対し、真の身分及び意図を秘したうえで、丙川町の商店街の者であり、亡春子に対して献花をしたい旨申し出て、原告らの了承を得た。そして、久恒らが亡春子の遺影に対し献花している間に二階にいる被告吉川は、原告らに気付かれることなく、ガラス窓越しに見える同女の遺影を本件写真を含め数枚撮影した。久恒ら四名は、献花を終えた後本件教会から退出し、被告吉川も久恒らに遅れて右教会から退出したが、結局、久恒らは、事前、事後を問わず原告ら遺族に対し、亡春子の遺影の撮影につき何ら承諾を求めなかった(久恒らが丙川町の商店街の者と名乗って献花し、被告吉川が本件教会の二階から亡春子の遺影を撮影したこと及び久恒らが右撮影に際し、原告らの承諾を求めなかったことはいずれも当事者間に争いがない。)。

6(一)  全国紙を含む各新聞は、翌昭和六二年一月二一日に匿名で、わが国最初の女性エイズ患者が同月二〇日に死亡した旨一斉に報道したが、その中には、教会名は伏せつつも本件教会の建物の写真を掲載した新聞もあった。また、右同日、新聞及び雑誌等マスコミ関係者ら多数が本件教会で営まれた亡春子の葬式や原告ら方の周辺に詰め掛け、原告らに取材を試みたり、近所に聞込み取材を行ったりした。

(二)  他方、被告吉川は、亡春子の遺影を撮影後、直ちに本件写真を現像して久恒に交付し、久恒は、本件写真を入手した旨被告会社のフォーカス編集部に伝えた。また、久恒は、昭和六二年一月二一日に兵庫県保健環境部を訪れ、亡春子が不特定多数の男性と売春をしていたこと等を確認しようとしたが、明確な回答を得られず、結局、久恒らは、行政当局から亡春子が売春をしていた旨の前記のマスコミの報道を裏付ける情報を入手できなかった。また、久恒らは、前記戊田及びその妻を除き、原告ら関係者に対する取材等の裏付け取材を行っていない(久恒らが兵庫県保健環境部を訪れたことは、当事者間に争いがない。)。

(三)  本件写真を入手したとの連絡を受けた被告後藤以下のフォーカス編集部は、本件写真及び亡春子に関する記事を本件雑誌に掲載することを決定し、同月二一日中には久恒から本件写真を入手して記事の作成や校正等の具体的な編集作業に着手し、同日中に本件記事が校了された。

7  こうして、被告会社及び被告後藤は、本件雑誌に、B5版一頁半の大きさの無修整の本件写真(この中に写っている亡春子の遺影は、縦約一二センチメートル、横約九センチメートルである。)とともに写真の人物がわが国最初の女性エイズ患者であり、外国人船員相手に売春をしていた神戸市内の外人バーに勤め、そこで外国人や日本人の客を相手に売春をしていた旨の本件記事を掲載して約一〇〇万部近く印刷したうえ、昭和六一年一月二三日に全国の書店で販売し、読者である全国の不特定多数の人に本件写真及び本件記事を公表した。本件記事は、亡春子の氏名住所等を明らかにしていないものの、本件写真により本件記事の人物が亡春子であると特定できたが、被告らは、本件報道について原告らに対し、承諾を求めなかった(被告会社が昭和六二年一月二三日に本件記事及び本件写真を掲載した本件雑誌を約一〇〇万部印刷し、全国の書店で販売したことは、当事者間に争いがない。)。

8  原告らは、前記厚生省の公表や前記の一連のマスコミ各社の取材報道に加えて、被告会社が本件報道をしたことにより、近隣に亡春子がエイズ患者であったこと等が知られてしまい、エイズの感染を危惧した近隣の者によって日常生活上の交際から排除される事態を生じるに至った。また、その後株式会社光文社が発行するフラッシュ誌も亡春子の遺影を公表したが、神戸市は、昭和六二年一月二四日頃衛生局長名でこうした報道を批判する旨の談話を発表した。

9  その後、昭和六三年一二月には、後天性免疫不全症候群の予防に関する法律(平成元年法律第二号、以下、「エイズ予防法」という。)が成立し、平成元年一月一七日に公布され、同年二月一七日から施行された。同法は、エイズの予防に関し必要な措置を定めることによりエイズの蔓延の防止を図ることを目的とし(一条)、エイズに関する正しい知識の普及を国及び地方公共団体の責務とする(二条)とともに、国民もエイズに関する正しい知識を持ち、予防に必要な注意を払うよう努めるとともにエイズ患者等の人権を損なわないよう配慮することを求めている(三条)。そして、感染者を診断した全ての医師に対し、感染者に伝染の防止に関し必要な指示をしたうえで、感染者の性別、年齢、感染原因、臨床症状等の事項を都道府県知事へ報告することを求めているが(五条)、誰が感染者かということまで報告する必要はなく、当該医師が感染者との信頼関係に基づいて指示を行い、二次感染の防止を原則とし、感染者が医師の行う指示に従わず、かつ二次感染を発生させるおそれがある場合に限り、例外的に医師は感染者の氏名等を都道府県知事に通報するものとされている(七条)。また、医師や公務員等感染者の氏名等を知り得る立場にある一定の者が感染者の秘密を正当な理由なく漏らしたときの特別の罰則をも規定し(一四条)、感染者らのプライバシーの保護を図っている(右の各事実は、当裁判所に顕著である。)。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  右認定事実を前提として、本件における被告らの行為の適否について判断する。

1  原告らは、本件では被告らの行為により、死者である亡春子自身の名誉権、プライバシーの権利及び肖像権等の人格権が侵害された旨主張する。しかしながら、このような人格権は、その性質上、一身専属権であると解すべきところ、人は死亡により私法上の権利義務の享有主体となる適格(権利能力)を喪失するから、右人格権もその享有主体である人の死亡により消滅するものである。そして、人格権については、実定法上、遺族又は相続人に対し、死者が生前享有していた人格権と同一内容の権利の創設を認める一般的な規定も死者につき人格権の享有及び行使を認めた規定もない。

もっとも、死者の名誉等を法的に保護する必要性は否定できず、刑法二三〇条二項は、死者の名誉についても名誉毀損罪の成立を認め、刑事訴訟法二三三条一項は右の場合に死者の親族又は子孫に告訴権を認めている。また、著作権法六〇条本文は、著作者の死後における著作者人格権侵害行為の禁止を定め、さらに、著作者の死後も右著作者の子、父母、孫、祖父母又は兄弟姉妹の遺族が同条本文に違反する行為をし、あるいはするおそれのある者に対し、その差止等の救済措置を請求できるものと規定している(同法一一六条)。しかしながら、刑法の右条項は、国家が社会の公益を保護する観点から、個人的法益である死者の名誉を特に保護法益として認めたものに過ぎず、死者の権利能力や人格権を認めたものとは解されない。また、著作権法の右各規定は、著作者人格権が、著作者の一身専属権で(同法五九条)、著作者の死亡により消滅することを前提としながら、著作者の死後における著作物の保護の必要性から、著作者の遺族に対し、著作者人格権と同一の権利を創設したものであり、著作者の死後も著作者人格権が存続することを前提としたものではないと解するのが相当である。したがって、右の各規定が存在するからといって直ちに死者の人格権が認められるべきものではない。

以上のとおり、死者の人格権はこれを認めることができないから、亡春子自身の人格権が侵害されたとする原告らの主張は、その余の点について判断するまでもなく、採用できない。

2  そこで、次に原告らの人格権等が侵害されたかどうかについて判断する。

(一)  亡春子に対する敬愛追慕の情

(1) 前記認定事実によれば、本件記事は、本件写真の被写体の女性(亡春子)が、わが国最初の女性エイズ患者であるとともに、不特定多数の男性と売春をしていたこと等の事実を摘示する内容となっており、本件記事は匿名であったものの、本件写真により、本件記事の対象者が亡春子であることが観取しうるものと認められる。そして、右記事の内容が亡春子に対する社会的評価を甚だしく低下させるものであることはいうまでもないから、亡春子の名誉は、本件報道によって著しく毀損されたものというべきである。

(2) また、他人に知られたくない私的な事柄をみだりに公表されない利益が、プライバシーの権利として一定の法的保護を与えられることは、多言を要しないが、このように法的保護を与えられる私生活上の事柄とは、一般人に未だ知られておらず、公表されれば私生活上の事実又はそれらしく受け取られるおそれのある事柄で、一般人の感受性を基準にして、当該私人なら公開を欲しないであろうと認められるものであることが必要であると解される。

これを本件についてみるに、前記認定事実によれば、本件記事の内容のうち、亡春子がエイズに罹患したこと、亡春子の異性関係及び亡春子が売春をしていたこと等は、いずれも一般人に未だ知られておらず、亡春子の私生活上の事実又はそれらしく受け取られる事柄で、一般人の感受性を基準にすれば、亡春子が公開を欲しないであろうことは明らかである。

したがって、亡春子は、本件報道により、生存しておればプライバシーの権利の侵害となるべき私生活上他人に知られたくないきわめて重大な事実ないしそれらしく受け取られる事柄を暴露されたものということができる。

(3) このように、本件報道は、亡春子の名誉を著しく毀損し、かつ生存者の場合であればプライバシーの権利の侵害となるべき亡春子の私生活上他人に知られたくないきわめて重大な事実ないしそれらしく受け取られる事柄を暴露したものであるが、このような報道により亡春子の両親である原告らは、亡春子に対する敬愛追慕の情を著しく侵害されたものと認められる。

(4) したがって、本件報道は、原告らの右人格権を侵害するものである。

(二)  原告らの名誉権、プライバシーの権利の侵害

原告らは、本件報道により、原告ら自身の名誉権やプライバシーの権利を侵害された旨主張する。しかしながら、前記認定事実によれば、本件記事は匿名であるうえ、その真偽は別として、亡春子の中学校卒業後の生活状況を記載しているものの、原告らとの生活状況や原告らの経歴、行状について言及していないから、右掲載によって原告らの名誉権やプライバシーの権利を侵害していると解することはできない。

なお、原告らは、原告らが亡春子の両親として同女と長らく同居する等いわば一心同体の密接な関係にあるから、亡春子に対する名誉権やプライバシーの権利に対する侵害は原告らの右権利に対する侵害と同視すべきである旨主張する。しかしながら、名誉権やプライバシーの権利は当該個人の一身専属権であるところ、前記認定のとおり、亡春子は死亡当時二九歳であり、未成熟の子の場合と異なり、名誉権やプライバシーの権利については、原告らとは別個独立に検討すべきものであるから、右の権利に対する侵害も個別的に検討されるべきであり、《証拠省略》により認められる原告らと亡春子との右主張にかかる事実関係の存在も右結論を左右するものではない。したがって、原告らの右主張は採用できない。

このように、原告らの名誉権やプライバシーの権利が侵害されたとする原告らの右主張は、採用できない。

(三)  宗教的行事に関するプライバシーの権利、宗教的行事を平穏に行う権利の侵害

原告らは、被告吉川による本件写真の撮影等によって原告らの宗教的行事に関するプライバシーの権利ないし宗教的行事を平穏に行う権利を侵害された旨主張する。しかしながら、前記認定に照らすと、久恒らの本件教会内における行動は、被告吉川の行為をも含め、取材行為としては通常許された範囲を逸脱したものであるが、未だ前夜式を妨害し、又はその平穏を著しく害したとまではいえない。したがって、原告らの右主張は採用できない。

四  抗弁について

1  報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものであり、事実の報道の自由が、表現の自由を規定した憲法二一条の保障のもとにあることはいうまでもなく、また、このような報道機関の報道が正しい内容を持つためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も憲法二一条の精神に照らして、十分尊重に値する(最高裁判所昭和四四年一一月二六日大法廷決定・刑集二三巻一一号一四九〇頁以下参照。)。そこで、本件のように報道機関による故人の私的事柄に関する取材、公表を通じて遺族の故人に対する敬愛追慕の情が侵害された場合でも、前記の報道機関の報道及び取材の自由との関係で慎重な調整が必要となる。

そして、この場合、社会の構成員が当該私的事柄を知ることに正当な関心を持ちそれを知ることが社会全体の利益になるような場合、すなわち、当該事柄が公共の利害に関する事実である場合で、かつ、取材及び報道が公益を図る目的でなされた時には、当該取材の手段方法並びに報道された事項の真実性又は真実性を信ずるについての相当性及び表現方法等の報道の内容等をも総合的に判断したうえで、遺族の故人に対する敬愛追慕の情の侵害につき違法性が阻却されるべき場合があるものと解される。そこで、以下本件につき、右の違法性阻却事由の存否について検討する。

2  本件記事の公共性、公益性について

(一)  被告らは、現在エイズウイルスの感染を防ぐワクチンやエイズに対する治療方法がないこと、エイズによる死亡率の高さ及びエイズが世界的な規模で拡大していること等により、わが国最初の女性エイズ患者であり、不特定多数の男性と売春をしていた亡春子に対する社会的関心が強かったこと及びこれ以上の感染を防止するためには、亡春子と性的接触を持った男性その他一般市民に対し、亡春子を特定し、同女がエイズに罹患していたことを知らせる必要性、緊急性があったことによれば、本件記事及び本件写真の内容は、公共の利害に関する事項であり、また、本件写真の撮影並びに本件記事及び本件写真の掲載は、いずれもエイズウイルスの二次感染を防止するという公益を図る目的でなされた旨主張する。そして、エイズウイルスが性的接触等により感染し、現在エイズウイルスの感染を防ぐワクチンやエイズに対する完全な治療方法がないこと、エイズの症状は重篤であり発病後三年以内の死亡率が高いこと、エイズウイルスの感染者及びエイズ患者の数が増加する傾向にあること、厚生省のわが国最初の女性エイズ患者を確認した旨の発表後、マスコミ各社が連日右女性エイズ患者を含め、一連のエイズ報道を行い、また、神戸市内を中心に住民のエイズに対する不安が高まり、兵庫県や神戸市の衛生当局等に対し、右女性エイズ患者に関することも含め、エイズについての相談や検査依頼が多数あったことは、前記認定のとおりである。

(二)  しかしながら、前記認定事実に照らすと、亡春子がマスコミや社会の興味の対象となり、本件報道で取り上げられた主たる理由は、亡春子がわが国最初の女性エイズ患者であり、しかも不特定多数の男性と売春をしていたとされたことであると解されるところ、一般的に、伝染病の流行に際し、社会の構成員が正当な関心を持ちそれを知ることが社会全体の利益となる事項は、当該伝染病の感染力、感染原因、流行の状況、感染の予防方法及び感染した場合の治療方法等の事項であり、ある特定の個人が病気に罹患して死亡したことや右個人の容貌等はあくまでも右個人の私的事柄であり、特段の事情がない限り原則として社会の構成員の正当な関心の対象にはならず、このことは単なる社会の関心やマスコミの報道姿勢によって、左右されるものではない。

そして、前記認定のとおり、本件報道の当時、厚生省、兵庫県、神戸市等の行政当局は、専門家の意見を参考にエイズウイルスの感染の拡大を防ぐためにエイズウイルスの感染力、感染原因、感染予防の方法に対する正確な知識を公報するとともに、右女性エイズ患者が異性間の性的接触によってエイズウイルスに感染したことから、感染の不安を有する者は自主的に検査を受けるよう呼び掛ける等の対策を講じつつあり、これが少なからず成果を挙げていたのであるから、死亡率の高さ等のエイズの前記特殊性を最大限考慮しても、本件報道のように肖像写真を付けて亡春子がわが国最初の女性エイズ患者であると特定して報道することが必要であったとは到底考えられず、かえってこうした報道は、右女性エイズ患者やその行状に対する読者の好奇心を増進させ、エイズ問題を興味本意にとらえる風潮を生み出す一方、エイズに対する無用の不安をいたずらに煽り、ひいてはエイズウイルスの感染者又は感染を疑われる者に対する偏見、差別を助長させるばかりでなく、亡春子と交渉のあった者のプライバシーをも侵害するおそれすらあったものというべきである。被告ら主張の本件報道の目的に照らせば、前記患者の個人的事柄を除外した限度で、患者の年齢、性別、発生地域(県、市等)、現在の病状、感染経路、感染予防の方法等を報道し、読者にこれを周知せしめることで十分その目的を達し得たということができる。したがって、本件報道は、公共の利害に関するものとはいえず、また公益性を認めることもできない。

(三)  なお、証人久恒信夫は、亡春子のエイズ罹患によりエイズの二次感染が社会的にも問題となっていたにもかかわらず、行政当局は亡春子の接触相手等の追跡調査すら行おうとしない怠慢な態度に始終していたので、フォーカス編集部は感染を防止するために本件報道に踏み切った旨供述し、本件記事の中に行政当局の怠慢を批判する部分があることは前記認定のとおりである。しかしながら、エイズをめぐる問題、特に感染経路の調査、解明については、その当時及び現在を通じて強制力を行使する法的根拠がないうえ、任意に行われた場合であっても、その方法いかんでは被調査者のプライバシーを侵害するおそれがあるから、その方法については専門家の意見を徴する等慎重な対応が求められるところ、前記認定事実、特にエイズ予防法の趣旨に照らせば、厚生省による前記公表後の行政当局の措置につき、当然しなければならないことを怠った違法、不当があるとは到底認められない。したがって、仮に本件報道当時フォーカス編集部が右のような見解を有していたとしても、そのことから本件報道が公共性、公益性を帯びるものとは到底解されない。

(四)  以上のとおり、本件記事は、あくまでも亡春子の私的事柄に関するものであって、右の事項が社会の構成員の正当な関心の対象であり、その公表が社会全体の利益になる事項であるものと認めることはできず、また、右公表及びそのための本件写真の撮影等の取材活動につき公益性を認めることもできない。

3  本件記事の真実性について

(一)  被告らは、本件記事の内容は亡春子が売春をしていたことも含め、全て真実であるか又は真実と信ずるについて相当の理由がある旨主張し、証人久恒信夫の証言には右主張に沿う部分があるほか、厚生省が亡春子を匿名でわが国最初の女性エイズ患者であり、複数の男性と性的接触があった旨公表したこと、亡春子がギリシア人船員を含め四、五名の男性と性的交渉があったこと、各新聞が本件記事の掲載される数日前に亡春子が神戸市内の繁華街で売春をしていた旨報道をしていたことは、前記認定のとおりである。また、《証拠省略》によれば、亡春子が神戸市立中央市民病院に入院した昭和六一年一二月頃、担当医師が亡春子に対して過去の異性関係の相手の人数を尋ねた際、一〇〇人かと尋ねた時にうなずいたように見えたことが、右各新聞が亡春子の売春を報道した根拠となっていることが認められる。

(二)  しかしながら、厚生省は、前記のとおり、亡春子が外国人男性等複数の男性との性的接触があったと公表しただけであり、売春の事実を認めたものではなく、前記のとおり右ギリシア人船員等の四、五名の男性は、いずれも亡春子が一定期間交際していた特定の相手であり、亡春子はそのうちの何人かとは結婚も考えていたものである。また、亡春子が一〇〇人もの異性関係を認めたことに関しては、前記のとおり、当時亡春子は病状が重く、呼吸困難のため喉の切開手術を受け、会話は専ら筆談による他ない状態であったから、仮に医師の質問の際に右のとおりうなずいたとしても、このことから直ちに亡春子が一〇〇人もの不特定多数の男性と売春をしていたことを認めたものと即断することはできない。

(三)  また、被告らは、塩川委員長が売春婦のエイズウイルス感染率についての談話を発表し、亡春子の売春を示唆した旨主張し、《証拠省略》によれば、厚生省エイズサーベイランス委員会が昭和六二年一月一七日に前記のとおり女性エイズ患者の発生を公表した際、同委員会の委員長である塩川優一順天堂大学名誉教授が売春婦のエイズウイルスの感染率が高い等の談話を発表したことが認められるが、右談話から直ちに亡春子が売春をしていたということはできない。

(四)  被告らは、久恒が知合いの新聞記者から行政当局が非公式に亡春子の売春の事実を認めたとの情報を得ていた旨主張し、証人久恒信夫は、右主張に沿う供述をする。しかしながら、久恒は右情報源の氏名等これを特定するに足りる事項を明らかにしていないうえ、同人らは、本件写真の撮影と前後して兵庫県に対し、亡春子についての取材を行おうとしたが、亡春子のプライバシー等を理由にこれを拒否され、結局本件記事の公表時までに行政当局から何らの情報を得ていないことは前記認定のとおりである。そして、このことに《証拠省略》をも考え合わせると久恒の前記供述は措信することができず、他に被告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

(五)  さらに、被告らは、久恒らが亡春子が勤めていたチェリーのマスターである戊田から亡春子の売春の事実を示唆する前記供述を得た旨主張し、《証拠省略》中には右主張に沿う部分がある。しかしながら、《証拠省略》に照らすと、右の供述及び記載はそのすべてをにわかに措信できるものではないうえ、仮に久恒らが戊田から右のとおりの供述を得たとしても、これをもって亡春子が不特定多数の男性と売春をしていたものと認めることはできない。そして、久恒らは、戊田及びその妻以外は原告らを含め、他の関係者に対して取材等を行っていない。

(六)  以上のとおり、被告らが亡春子が売春をしていたことの根拠とした各事項をもっては、いまだ右事実を認めることはできず、他に被告らの右主張を認めるに足りる的確な証拠はない。したがって、本件記事のうち、亡春子が売春をしていた旨の記載は真実とは認められず、また、右(一)ないし(五)に照らすと、被告らにおいて右記載が真実であると信ずるにつき相当の理由があったものとも認めることはできない。

4  違法性阻却事由について

被告らは、本件記事及び本件写真の掲載は、エイズ問題についてフォーカスが当時行っていた一連の報道のうちの一つであり、単なる娯楽や興味本位からではなく、しかも本件写真の撮影も事前に一定の事項を取り決めて行ったものであり、その撮影行為も教会の雰囲気を乱すものではなく、本件記事もエイズの二次感染を防止する目的を達成するために必要最小限の範囲で亡春子の経歴について言及しただけであるから、仮に本件報道が原告らや亡春子の人格権を侵害したとしても、違法性を阻却される旨主張する。

しかしながら、本件記事及び本件写真の公表について公共性、公益性が認められないことは前判示のとおりであるうえ、前記認定事実によれば、久恒らは、原告らが近親者の死という最も悲しむべき私生活上の出来事に際し、亡春子をしのんでいた教会に欺罔を用いて入り込み、原告らの承諾を得ずに本件記事において使用することを予定して本件写真を撮影したものであり、このような一連の行為は、取材行為として通常許されるべき範囲を著しく逸脱したことはいうまでもなく、さらに、本件記事の内容も前判示のとおりその一部が真実ではなく、また、真実と誤信したことにつき正当事由も認められないのであるから、仮にフォーカス編集部が被告らの主張するような問題意識、目的を持って本件報道をしたものであるとしても、そのことのゆえに本件記事及び本件写真の公表が違法性を阻却するとは到底解し得ない。

なお、《証拠省略》によると、フォーカスでは、昭和六〇年頃から国内、国外を問わず著名なエイズ患者の死亡、エイズの治療法その他エイズをめぐる社会事象について一連の報道をしており、その中には氏名を明記してエイズ感染者の写真を掲載したものもあることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。しかしながら、《証拠省略》によれば、右エイズ感染者の写真は、公表について被撮影者が明示又は黙示の同意をしているものと認められるから、本件と同一に論じられないことは明らかであり、その他の右報道もこれをもって本件報道の違法性を阻却するものでもない。したがって、右の各報道が存することも、右結論を左右するものではない。

5  結局、本件写真の撮影並びに本件記事及び本件写真の掲載は、抗弁記載の各違法性阻却事由の存在を認めることができないから、原告らに対する不法行為を構成するものと認めるべきである。

五  被告らの責任

1  被告吉川

前記のとおり、久恒らフォーカス編集部の編集部員は、写真週刊誌の取材、編集及び発行に携わる者として、正確に事実関係を調査して正確な記事を作成するとともに、取材の対象となる者の名誉、プライバシー等の人格権的利益を侵害することのないよう注意を払うべき義務があるにもかかわらず、右の注意義務を怠り、本件写真の撮影並びに本件記事及び本件写真の掲載によって原告らの人格権的利益である亡春子に対する敬愛追慕の情を侵害したものである。

被告吉川は、自らは本件記事の作成及び本件報道には関与していないものの、久恒ら及び被告後藤以下のフォーカス編集部の指示を受けて久恒らの取材に同行し、本件写真が写真週刊誌である本件雑誌に占める重要性をも認識しながら、前記態様で本件写真を撮影し、本件報道のための取材に深く関っていたものであるから、共同不法行為者として民法七一九条一項前段、七〇九条により、原告らに対し、原告らが被った損害を賠償すべき責任がある。

2  被告後藤

フォーカスの編集・発行人である被告後藤は、同誌の編集、発行の総責任者として編集部員や専属カメラマンを指揮監督すべきところ、本件では亡春子に対する取材の決定に参画し、久恒及び被告吉川らに対して適宜指示を行って本件写真及び取材源を入手した際、掲載する記事の内容及びそれが社会に与える影響に鑑み、事実関係については十分調査を尽すべき注意義務があったのにこれを怠り、久恒らの取材のみに依拠して本件記事及び本件写真の掲載を決定し、本件報道を行ったものであるから、民法七〇九条により、原告らに対し、原告らが被った損害を賠償すべき責任がある。

3  被告会社

被告会社がフォーカスを発行していること並びに被告吉川及び後藤が被告会社の被用者であることは前記のとおりであるが、本件写真の撮影並びに本件記事及び本件写真の掲載が被告会社の事業の執行であるフォーカスの取材、編集及び発行についてなされたことは明らかであるから、被告会社は、原告らに対し、民法七一五条一項により、原告らが被った損害を賠償すべき責任がある。

4  なお、被告らの右不法行為は、被告会社の発行するフォーカスにおける写真及び記事の作成、報道の経緯において発生したものであるから、被告らは、共同不法行為者として原告らに対し、連帯して右損害を賠償すべき責任がある。

六  損害

1  亡春子の損害

原告らは、亡春子自身の人格権が侵害されたとして、損害賠償及び謝罪広告の掲載を請求する。

しかしながら、亡春子に対する人格権の侵害が認められないことは前判示のとおりであるから、原告らの右の各請求は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がない。

2  原告らの損害

(一)  慰藉料請求

(1) 前記認定事実によれば、原告らは、実の娘である亡春子に死なれ、その悲嘆も和らぐ間もなく、前記のとおり、一部真実とは認め難い内容を含む本件記事及び本件写真を本件雑誌に掲載されて亡春子の他人に知られたくない私生活上の事柄を全国に暴露され、かつ、同女の名誉を著しく毀損されたものであり、原告らは、亡春子に対する原告らの敬愛追慕の情を著しく侵害され、精神的に著しい苦痛を被ったことが認められる。そして、本件にあらわれた一切の事情を総合勘案すると、原告らが被った右精神的苦痛を慰藉するための金額は、原告ら各自につき金一〇〇万円が相当である。

なお、原告らは、不法行為制度においては、加害者が不法行為によって得た利益を剥奪する一種の制裁の趣旨をも含めて損害賠償額が算定されるべきであるところ、本件では被告らの不法行為はきわめて違法性が高く、被告らはこれにより莫大な利益を得ているから、右利益を剥奪する目的で賠償額が算定されるべきである旨主張する。しかしながら、わが国の不法行為制度は、あくまでも加害行為により被害者に生じた現実の損害を加害者に填補させるための制度であって、加害者に対する制裁として決定された額を被害者に利得させることを目的とはしておらず、原告らが本件で主張する事情、すなわち当該加害行為の違法性が重大であることや加害者が当該加害行為によって莫大な利益を上げていること等の事情は被害者の被った精神的苦痛の程度に反映され、慰藉料額の算定において考慮されるべき事柄であると解される。したがって、原告らの右主張は、採用できない。

(2) 原告らは、原告ら自身の名誉権及びプライバシーの権利を侵害されたとして慰藉料を請求するが、前記のとおり原告ら自身の右各権利は毀損されていないから、右請求は理由がない。

(二)  弁護士費用

弁論の全趣旨によると、原告らが原告ら訴訟代理人らに対し、本件訴訟の遂行を委任したことが認められるところ、本件事案の性質、審理の経過、認容額及びその他本件にあらわれた一切の事情を考慮すれば、右に要した弁護士費用のうち被告らの不法行為と相当因果関係のある損害は、原告ら各自につき一〇万円が相当である。

(三)  謝罪広告

原告らは、損害賠償の請求に合わせて名誉の回復措置として謝罪広告の掲載を請求している。

しかしながら、前記のとおり、本件では本件報道により原告ら自身の名誉及びプライバシーの権利は毀損されていないから、原告の右請求は、この点においてすでに理由がない。

七  結論

以上によれば、本訴請求は、原告ら各自が被告らに対し各自不法行為に基づく慰藉料一〇〇万円及び弁護士費用一〇万円の合計一一〇万円並びにこれに対する不法行為の日の後である昭和六二年一〇月一〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文に、仮執行の宣言につき同法一九六条一項にそれぞれ従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田畑豊 裁判官 田中敦 裁判官 黒野功久)

〈以下省略〉

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